プログラマーをあきらめた日

 

僕はプログラマーになる夢をあきらめた。

 

 

 

 

 

 はじめまして。穹(そら)と申します。

今はしがないシステムエンジニアとして働いています。

夢を諦めたほんの昔話を語りたくなって記事を書きました。

とても苦い経験で終始暗い話になりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

 

1. ITに興味を持つ

 プログラマーという夢を持つ前に、先駆けであるITに興味を持ったきっかけを紹介したい。

最初にITに興味を持ったきっかけはみんな大好きなゲームだった。

僕は運動がそこまで得意ではなく、内向型の性格だったこともあり、

学生時代からずっとインドアな趣味を好んできた。

そんな中で一番相手をしてくれるのはゲームだった。

特にポケモン太鼓の達人、ギャルゲーなど一人でもできるゲームを好んでプレイしていた。

親には「ゲームは1日30分」と言われていたが、無視して続けては怒られたのが懐かしい。

(今みたいに充電式ゲーム機やオートセーブの時代ではなかったので、

 未セーブの状態で電源ケーブルを引っこ抜かれて大泣きした思い出もある。)

 

この頃は純粋にやりこみ要素やシナリオを楽しんでいたので、

プログラムをどうこう気にしたことはなかった。

「ゲーム以外何もしてこなかった」、それだけのことだ。

ただ、ずっと同じ楽しみ方をしていると飽きてくる。

ひたすらやり込んでくると抜け道を使ってみたくなるのが人間の性分なのだろう。

バグ技、チートなどに手を出し始め、そこからプログラムに興味を持ち始めた。

専門知識はまったくなかったが、プログラム解析ツールを作れる人を羨望した。

ゲームがプログラマーを目指すきっかけの一つだったことは間違いない。

 

 だが、ゲームだけでプログラマーになろうとは思わなかった。

後押ししたのはIT化の時代の流れだった。

よくニュースでIT企業が一攫千金しているのを見て、夢があるなと印象を持っていた。

特にホリエモンライブドアが一番印象深い。

(今思うとライブドアってIT企業としてではなくM&Aで成長した企業なんだけどね。)

 

しばらくしてGoogleAppleなどの米国IT企業の時代になり、さらにITに興味を持つようになった。

IT業界の成長性を見れば、これからの時代は間違いなくプログラマーが重宝されると確信した。

将来性も考えて僕はプログラマーになろうと決意し、情報工学を専攻することにした。

 

2. 才能の差

 情報工学専攻の大学に入って数ヶ月、さっそく現実を目の当たりにした。

プログラミング経験者ならわかる話だが、プログラミングは才能の世界だ。

天才と凡人には雲泥の差がある。

例を挙げよう。僕が専攻していた情報工学科には隔週でプログラミング演習があり、

毎回講義の最後に課題が与えられ、次回までに提出する必要があった。

当然だが、他人のソースコードをコピペするのはご法度だ。

僕が10時間くらいかけて課題を終わらせたとする。

対して彼らは2時間で終わらせてしまう。

素人が見ても圧倒的な差だと思うだろう。

才能の差とはこういうものなのかと思い知った。

なんとかこの差を埋めないとまずい。

そうじゃないと将来プログラマーになったときに、これだけ時間差があるということは

「自分は無能です」とアピールしているようなものだ。

僕は長期休暇の時間などを使い、プログラミングの勉強をした。

だが、無駄な時間だった。

才能ある彼らとは頭の作りが根本的に違うらしい。

彼らは僕が思いつかないロジックをいとも簡単に思いついてパパッと終わらせてしまう。

これが僕にとってとんでもなくコンプレックスだった。

彼らが思いつくようなロジックが全然思いつかない。

プログラミングに向き合えば向き合うほど惨めな思いをする。

僕は自分の才能の無さを呪った。

 

3. 夢破れたとき

 しかし、諦めの悪い僕は大学4回生のときにもう一度挑戦することにした。

大学生最後の課題、卒業研究で、だ。

当時、僕はスマホアプリ用のフレームワーク開発の研究をすることに決めた。

ここでのフレームワークとは、プログラミングをするときに誰でも使える

便利なツールとでも思ってほしい。

例えば、家計簿アプリ開発をしたいときに「電卓機能」のフレームワークがあれば、

いちいち「電卓機能」のプログラムを組む必要がなくなる。

結果、開発時間を短縮できる、といった具合だ。

フレームワークとして使えるようにするのは、過去の研究生が残したソースコードだ。

その研究生はとても優秀な人だったみたいで、膨大なソースコードには通信インフラが

抱える問題を解決するための全容が記されていた。

 

こうして研究生活は、新しいプログラミング言語フレームワーク開発技法の学習、

研究生が残したソースコードの理解、実装方法の検討をやっていく日々になった。

最初は新しいことを覚えていくのが楽しく、新鮮な気持ちで取り組むことができた。

だが、楽しい日々は長くなかった。

研究は理論的に正しくても、いざ実装段階になったらうまくいかないことが日常茶飯事だ。

例外なく僕も実装段階で大きくつまづいた。

秋頃になって、過去の研究生が残したソースコードがそのまま使えないことが発覚した。

ソースコードの中身が古いOSのバージョンにしか対応してなかったのだ。

ITの発展がめざましいのがここにきて痛手となった。

ソースコードの改修という大仕事をやる羽目になり、研究室に泊まり込んだり、

終電で帰ったりする日々が続いた。

可能な限り時間をかけたが、プログラミングが得意でない僕が改修できる類のものではなかった。

ここでまたもや僕は自分の才能の無さを呪った。

 

「終わらない。このままでは研究成果に出せるものがない。卒業できなくなってしまう。」

教授は真面目な人で妥協を許さなかった。

「今のままでは研究成果がないから卒業できないよ」と何度も念を押された。

僕は奨学金で大学に通っていたこともあり、留年ができない立場にいた。

ネガティブがネガティブを呼び、泊まり込みと終電帰りの生活が続いた結果、僕は壊れた

気がつけば、トイレや電車の中で自然と涙を流していた。

あとで友達に聞いた話だが、すれ違ったときに顔に精魂が無く、声をかけたのに気づかなかったらしい。

最終的に教授に泣きつき、なんとか代替策を一緒に考えてもらい、残りの期間を使って、

最低限成果と呼べる成果物の作成、卒業論文の執筆、卒業発表をして無事卒業できた。

無力な自分は誰がどう見ても、とても惨めだった。

このとき僕は誓った。

 

「二度とプログラマーになるなんて夢は見ない」と。

 

この苦い思い出は、今も心の中に残っている。

今もあの季節がくるたびに心が痛む。

 

4. そして今

 卒業後は、正直ITに嫌気をさしていたので、IT企業の内定を辞退し、

第二新卒として他業界で就職先を探そうかと考えていた。

だが、行きたい業界もなければ、もう一度就活する気も起きない。

幸いなことに入社先には豊富な職種があったため、結局辞退せずにIT企業に入社した。

今も僕は、プログラミングをしないシステムエンジニアとして働き続けている。

システムエンジニアにも苦痛を味わうときはあるが、研究生活のときの苦痛を比べれば何百、何千倍もマシだ。

 今、「プログラマーを諦めたことを後悔してないか」と聞かれたら、

「まったく後悔していない」と答える。

相変わらずプログラミングができないコンプレックスは持っているけど。

だがやっていて楽しくないこと、自分が苦手だとわかっていることに時間を注ぐのは辛いものだ。

 

かの有名な経営学者、ピーター・ドラッカーがこんな言葉を残している。

「人が何かを成し遂げるのは、強みによってのみである。弱みはいくら強化しても平凡になることさえ疑わしい。強みに集中し、卓越した成果をあげよ」

 

大人になった今も、僕は僕の得意なことがわからない。

しかし、苦手なことはわかる。

苦手なことに時間を注ぐのはもうやめよう。得意なことを探そう。

そうして今も僕は自分を探し続けている。

 

5. おわりに

 世の中苦手なことや短所を克服することはいいことだとされているが、僕はまったくそんなことは思わない。

むしろ尖りきった人には、他の人にはない魅力がいっぱいある。

誰もが尖りきることはできないが、せめて夢中になれるなにかを見つけることができれば、

深みのある人生を送ることができるのだと僕は思う。

 

 僕はプログラマーとして尖りたかったが、尖ることはできなかった。

その代わりに今も夢中になれる新しいなにかを探し続けている。

どうやら学生時代の経験値が低すぎたせいか、いい歳になっていてもまだ見つからない。

気長に探し続けるしかないのだろう。

せめて死ぬ直前に後悔のない人生を送りたい。

みなさんは今、なにか夢中なものはありますか?

よかったらコメントください。